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京都地方裁判所 昭和63年(ワ)807号 判決

原告

(旧姓岡本)

坂本泰子

右訴訟代理人弁護士

村井豊明

被告

財団法人泉谷病院

右代表者理事

泉谷守

右訴訟代理人弁護士

菊地博

主文

一  被告は原告に対し、金一二〇七万二二〇二円及びこれに対する昭和六三年一二月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その二を被告の、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金二九六四万七三四五円及びこれに対する昭和六三年一二月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告は後記被告病院において両側前腕骨骨折に対する手術その他の治療を受けた女性であり、被告は肩書住所地において医療施設泉谷病院(以下「被告病院」という。)を開設している財団法人である。

2  原告の症状経過

(一) 被告病院入院中における症状経過

原告は、昭和六一年一〇月一〇日、両側前腕骨骨折(左橈骨末端粉砕骨折、右橈骨外顆骨折、右舟状骨骨折)の傷害を負い、同日、被告病院に入院した。

同月一四日、被告病院において、原告の両側前腕骨骨折に対する手術(以下「本件手術」という。)が施行され、被告病院に勤務する医師ら(以下「被告病院担当医」という。)は、左前腕の骨折部(左橈骨末端)を二本のキュルシュナー鋼線とビスにより、右前腕の骨折部(右橈骨外顆)をビスにより、それぞれ固定(内固定)した。その際、左前腕の骨折部(左橈骨末端)に刺入された二本のキュルシュナー鋼線が誤って手骨のうちの舟状骨に接する位置に刺入されたため左手首がほとんど動かず左手拇指はほとんど外転も屈曲もできない状態となった。また前記二本のキュルシュナー鋼線の刺入部位、方向が不適切であったため術後にこれらのキュルシュナー鋼線が末梢部(手指方向)に突出、移動し、その結果、左手指の激しい疼痛、痺れ、腫れ、大幅な可動制限の症状を招いた。

ところが、被告病院担当医はかかる原告の症状を放置し、また被告病院(当時)の狭山信矩医師(以下「狭山医師」という。)は原告に対し「抜釘(内固定材料として用いられたキュルシュナー鋼線、ビスを除去すること)は必要ありません。釘(キュルシュナー鋼線、ビス)を入れたままでも手首は自然に動くようになります。」「年内(昭和六一年中)に退院してもいいですよ。(退院後は)自然と手首が動くようになるから、様子を見てまた通院しなさい。リハビリをする必要はありません。」等と説明していた。

同年一二月三〇日、原告は、左右両手の抜釘が未了で、かつ右手舟状骨骨折に対する何らの治療も受けないままに被告病院を退院した(なお、原告は、被告病院入院中に外泊をする際には、主治医、看護婦の許可を受けており、無断外泊をした事実はない。)。

(二) 訴外西陣病院における症状経過

原告は、被告病院退院後も両手首の痛みと可動制限が残ったので何とかこれを緩和したいと思い、昭和六二年一月七日、京都市上京区五辻通六軒町西入溝前町一〇三五番地所在の訴外西陣病院で受診した。この日に撮影された原告の左手のレントゲン写真ではキュルシュナー鋼線が手骨(舟状骨)に接している像が認められ、キュルシュナー鋼線が刺入されたままでは原告の左手の可動制限はなくならないものと診断された。

同月二〇日、西陣病院において原告の左手に刺入されたキュルシュナー鋼線等を除去する手術(以下「第一次抜釘手術」という。)が施行され、この手術の結果、原告の左手拇指が自動で外転、屈曲等ができるようになった。

同年三月一六日、原告の右手に刺入されたビスを除去する手術(以下「第二次抜釘手術」という。)が施行されたが、抜釘(ビスの除去)をすることはできなかった。

このような経過で、原告は、左橈骨末端に骨萎縮及び腱の癒着を生じ、橈骨関節面の肘下を来たして内反射となり、西陣病院において両手関節外傷性関節炎、左手内反射及び左手関節屈曲位拘縮と診断され、昭和六三年一二月一五日まで西陣病院への通院加療を余儀なくされた。

3  原告の現症状及び後遺障害の内容、程度

現在、原告は、左手に強い変形、知覚障害(痺れ、疼痛)、機能障害(可動制限)の、右手に手関節と拇指の機能障害の各後遺障害が残っており(昭和六三年一二月一五日症状固定)、左手は労災補償障害等級(以下「労災障害等級」という。)一〇級の九に、右手は同等級一〇級の六にそれぞれ該当し、併合による繰上げで同等級九級となるものである。

4  被告病院担当医の過失

(一) 左前腕に対するキュルシュナー鋼線の刺入位置の誤り

被告病院担当医は、本件手術において左前腕の骨折部(左橈骨末端)の固定(内固定)のためにキュルシュナー鋼線を刺入するに際し、キュルシュナー鋼線が左手指の可動制限を来すことのないよう、キュルシュナー鋼線を手骨から少し離した位置に刺入すべきであったのに、これを怠り、キュルシュナー鋼線を手骨(舟状骨)に接して刺入したために原告の左手(殊に左手拇指)の可動制限をもたらした過失がある。

(二) 左前腕の骨折部に対する骨接合術(内固定方法)の不十分、不適切

一般に橈骨末端での粉砕型の関節内骨折では骨折部の整復、保持が困難であり、またかかる骨折部をキュルシュナー鋼線を用いて固定(内固定)する場合にはこれによる固定性は強くなく(そのため外固定による補強を要することが多い。)、さらに内固定手技(キュルシュナー鋼線の刺入部位、方向等)や外固定方法が不適切であったり外固定期間が不十分であった場合には内固定材料として用いたキュルシュナー鋼線が術後に移動することがよく見られるのでキュルシュナー鋼線が移動してもそれによる障害が生じにくい場所を選ぶ必要がある。

したがって、被告病院担当医は原告の左前腕(左橈骨末端)の骨折部を整復、保持するに際し、かかる事項に十分に留意して、骨折部を強固に固定し、かつキュルシュナー鋼線の刺入部位、方向を適切なものにする義務を負うものであり、また右各事項が適切に施されていれば原告の左橈骨末端での粉砕型の関節内骨折による障害(一般にこの種の骨折で合併されやすいとされる正中神経麻痺による手指の痺れ、疼痛、可動制限)は最小限に軽減することができ、現在のような強い変形、知覚障害、機能障害を残すことは少なかったものである。

ところが、本件手術で用いられた内固定材料(二本のキュルシュナー鋼線とビス)は原告の左前腕(左橈骨末端)の骨折部の整復、保持に何ら役立っておらず左橈骨末端での粉砕型の関節内骨折の骨折部の固定には不十分であったし、本件手術で刺入された二本のキュルシュナー鋼線が術後に末梢部(手指方向)に突出、移動して手指の疼痛、運動制限、強い変形を来したことからみて、キュルシュナー鋼線の刺入部位、方向は不適切であった。

このように被告病院担当医は、骨接合術(内固定手技)の不十分、不適切(キュルシュナー鋼線の刺入部位、方向の不適切、また骨折部の固定不十分)により原告の術後の骨萎縮の程度を増強させた(骨萎縮は全ての骨折後の治療中に大なり小なりみられるが不適切な固定のために骨萎縮の程度が強くなる。)上、キュルシュナー鋼線を末梢部(手指方向)に突出させ、その結果、原告の左手指の疼痛、運動制限、強い変形を来した過失がある。

(三) 両前腕に対する抜釘懈怠

本件手術において原告の両前腕に刺入されたキュルシュナー鋼線及びビスは両手首に可動制限と痛みを残す原因となり、特に左前腕に刺入された二本のキュルシュナー鋼線は術後に末梢部(手指方向)に突出、移動して神経、血管を圧迫、刺激し、その結果、左手指の痺れ、疼痛、可動制限の症状を来したのであるから、被告病院担当医は、骨折部の骨癒合の有無にかかわらず速やかに両前腕に刺入されたキュルシュナー鋼線及びビス(特に左前腕の二本のキュルシュナー鋼線)を除去しなければならず、遅くとも被告病院を退院した昭和六一年一二月三〇日までに原告に対し抜釘手術を施すべきであったのに、これを怠った(被告病院では抜釘の計画すらなかった。)過失がある。

(四) 右手舟状骨骨折に対する治療懈怠

原告の右手舟状骨骨折は積極的な治療を要する症状であり、またこれに対する治療も可能であったから、被告病院担当医は、原告の右手舟状骨骨折に対し適時に適切な治療を施すべきであったのに、これを怠り、何らの治療も行わないまま原告を退院させ、その結果、原告の右手関節及び拇指の機能障害(可動制限)を来した過失がある。

5  被告の責任

被告は、被告病院担当医の使用者であり、被告病院担当医の前記4の(一)ないし(四)の過失のある治療行為はいずれも被告の業務の執行につきなされたものであるから、被告は民法七一五条に基づき原告に生じた損害を賠償する責任を負う。

また原告と被告は、昭和六一年一〇月一〇日、被告病院の担当医及び看護婦らが原告の両前腕骨骨折部に対する治療(整復、固定等)及びこれに伴う看護、診察を適切に行う旨の診療契約(以下「本件診療契約」という。)を締結し、被告病院担当医は被告の本件診療契約上の債務の履行補助者であるから、被告は、診療契約上の債務不履行(被告病院担当医の前記4の不完全履行)に基づき原告に生じた損害を賠償する責任を負う。

6  損害

被告の前記不法行為又は債務不履行により原告に生じた損害は次のとおりである。

(一) 西陣病院への通院交通費

二五万四七六〇円

原告は昭和六二年一月七日から昭和六三年一二月一五日まで西陣病院に通院加療し(実通院日数一九三日)、通院にタクシーを利用した。当時の原告の自宅から西陣病院までの片道タクシー代金は六六〇円である。

(計算式) 660×2×193=254,760円

(二) 西陣病院での治療費

六万〇〇八〇円

右(一)の通院に要した治療費の総額は右金額である。

(三) 休業損害

四〇七万〇三五〇円

本件当時、原告は喫茶スナック「織賀」を経営し、自らも店に出て稼働していたものであるが、被告病院担当医の過失により生じた前記2の(二)の傷病の治療のために自ら稼働することができなくなったので、代わりにアルバイト二名(昼、夜各一名)を雇用することを余儀なくされ、前記(一)の通院期間中にアルバイト店員に支給した賃金総額は右金額である。

(四) 通院慰藉料 二〇〇万円

原告が前記(一)の通院期間中に被った精神的、肉体的苦痛を慰藉するには右金額をもってするのが相当である。

(五) 後遺障害逸失利益

一五九六万二一五五円

原告は、前記3の後遺障害(左右とも労災障害等級一〇級で、併合により九級に繰上げ)により、症状固定時の三七歳から六七歳までの三〇年にわたってその労働能力の三五パーセントを喪失したものであるところ、本件当時、喫茶スナック「織賀」を経営して三七歳女子平均賃金(月額二一万〇八〇〇円)をはるかに上回る収入を得ていたので、本件医療過誤に逢わなければ、右期間中毎年少なくとも三七歳女子平均賃金(月額二一万〇八〇〇円の一二か月分)を得ることができたものであるから、新ホフマン式計算方式で年五分の中間利息を控除して、三〇年の新ホフマン係数は18.029)三〇年間の逸失利益の症状固定時での原価を求めると一五九六万二一五五円となる(円未満切捨て)。

(計算式) 210,800×12×0.35×18.029=15,962,155円

(六) 後遺障害慰籍料四六〇万円

原告の後遺障害の内容、程度その他一切の事情を総合して考慮すると、原告の後遺障害慰籍料は右金額が相当である。

(七) 弁護士費用  二七〇万円

原告は本件訴訟の提起、遂行を原告訴訟代理人らに依頼し、右弁護士費用は右金額が相当である。

(八) 合計二九六四万七三四五円

7  よって、原告は被告に対し、不法行為責任(民法七一五条)又は診療契約上の債務不履行責任(同法四一五条)に基づき(選択的併合)、金二九六四万七三四五円及びこれに対する原告の症状固定日の後である昭和六三年一二月三〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実(当事者)は認める。

2  請求原因2の事実(原告の症状経過)について

(一) 同2の(一)の事実(被告病院入院中における症状経過)のうち、原告が昭和六一年一〇月一〇日に両側前腕骨骨折(左橈骨末端粉砕骨折、右橈骨外顆骨折、右舟状骨骨折)の傷害を負って被告病院に入院したこと、同月一四日に被告病院で原告の両側前腕骨骨折に対する手術(本件手術)が施行され、その際に左前腕の骨折部(左橈骨末端)は二本のキュルシュナー鋼線とビスにより、右前腕の骨折部(右橈骨外顆)はビスによりそれぞれ固定(内固定)されたこと、同年一二月三〇日に原告が被告病院を退院したことは認め、その余は否認する。

(二) 同2の(二)の事実(訴外西陣病院における症状経過)は知らない。

3  請求原因3の事実(原告の後遺障害)は否認する。

4  請求原因4の事実(被告病院担当医の過失)はいずれも否認する。

5  請求原因5の事実(被告の責任)のうち、被告が被告病院に勤務する医師ら(被告病院担当医)の使用者であり、被告病院担当医の原告に対する治療行為が被告の業務の執行につきなされたものであること、原告と被告が昭和六一年一〇月一〇日に本件診療契約を締結し、被告病院担当医は被告の本件診療契約上の債務の履行補助者であることは認め、その余は否認する。

6  請求原因6の事実(損害)は知らない。

三  被告の主張

1  被告病院入院中における原告の症状経過等

原告は、昭和六一年一〇月一〇日、酔余橋の上から転落して両手首を骨折し(左橈骨末端粉砕骨折、右橈骨外顆骨折)、同日午前四時五八分に被告病院に救急入院したが、その際には酩酊状態であった。被告病院では、入院当初より、原告の左手側の受傷状況(粉砕骨折)からみて完全な復元は不可能であり将来いくらかの可動制限が残るものと診断し、その旨を原告にも説明しておいた。

本件手術後の原告の症状経過は順調で、被告病院退院時には、右手関節の可動域は大部分正常に戻って拘縮もなく骨折部もほとんど整復し、左手関節は粉砕骨折のため可動制限が残ったものの約二〇度の範囲で運動(屈曲、伸展)が可能な状態であり、両手とも関節の変形も骨萎縮もなかった。

抜釘については、被告病院退院直前に撮影されたレントゲン写真では原告の骨折部の仮骨形成が未だ不十分であることが認められ、まだ抜釘をする時期ではなかった。また原告の主治医を務めていた被告病院勤務(当時)の狭山医師は原告に対し、両手とも六か月以内に抜釘を行う予定である旨を退院直前に説明した。

原告は被告病院入院中に度々無断外泊をし、同年一二月に入ると毎日のように外出、外泊を繰り返していた。

2  請求原因4(被告病院担当医の過失)に対する反論

(一) 左前腕に対するキュルシュナー鋼線の刺入位置は適切であった。

本件手術の施行に際し、キュルシュナー鋼線が原告の左手の舟状骨に接して刺入された事実はなかった。術後に被告病院、西陣病院でそれぞれ撮影されたレントゲン写真を見てもキュルシュナー鋼線が原告の左手の舟状骨に接しているとは断定し得ない。また内固定材料のキュルシュナー鋼線やビスが多少の可動制限をもたらしたとしてもそれは当然の結果であり被告病院でも適時を選んで抜釘する予定であったのだから、西陣病院で施行された抜釘により可動制限が改善されても少しも異とするに足りない。

(二) 本件手術(左前腕に対する骨接合術)は適切に施行された。

被告病院では、原告の左手の受傷状態に照らし最善と思われる部位、方向を選んで二本のキュルシュナー鋼線とビスによって内固定を行った上、外固定(ギプス)も適切に施行した。キュルシュナー鋼線の本数は術者の裁量によるものであるし、キュルシュナー鋼線が手術後に移動することは多々あることであって本件程度の突出は不可避である。

キュルシュナー鋼線が突出、移動した場合に手首に支障をもたらすことはあり得るにしても手指に疼痛等の障害を来すことはあり得ない。術後に撮影された原告の左手レントゲン写真を見てもキュルシュナー鋼線は正中神経、橈骨神経、尺骨神経のいずれにも触れておらず、原告の正中神経の麻痺等は本件手術(内固定手術)によって生じたものでない。

骨萎縮についても、本件のような粉砕骨折では必ず生ずるものであり、その多寡は患者の体質によることが多く、原告が被告病院を退院したときには両手とも骨萎縮はなかった。

(三) 被告病院入院中はまだ抜釘をする時期ではなかった。

被告病院退院時の昭和六一年一二月三〇日には骨折部の仮骨形成は未だ不十分な状態にあり(このことは被告病院退院直前に撮影されたレントゲン写真上も明らかである。)、まだ抜釘をする時期ではなかった。

被告病院では、退院後も通院加療により原告の症状経過、治癒状況を診察し、それに応じて適切な時期(概ね半年後くらい)に抜釘するつもりでいたのに、原告が無断で西陣病院に転院したのであり、被告病院に何ら非難されるべきところはない。

(四) 右手舟状骨骨折に対する手術を行わなかった理由について

原告は左右の両手首を骨折していたので左右同時に大がかりな手術を施行すると食事、用便に不便を来す状態であったため、それ程の重傷でない右手については経過観察をすることとしたものであり、このような被告病院の診断に誤りはない。現に西陣病院でも右手舟状骨に対する治療を特に施してはいない。

3  被告病院における処置と原告の後遺障害との間に因果関係はない(後遺障害の原因は被告病院での処置以外にある。)。

(一) 粉砕骨折自体による障害の発生

原告の左手側の受傷状況(粉砕骨折)からみて、被告病院における処置如何に関わりなく何らかの可動制限が残る可能性があり、その旨を原告にも説明してある。したがって、原告に後遺障害があったとしてもそれは橋からの転落事故自体によるものである。

(二) 西陣病院における処置による障害の発生

原告の左手に変形を生じ、痺れ、痛みがあるほか、後遺障害を残しているとしたら、それは西陣病院において仮骨形成不十分な状態のまま抜釘手術を施行したことによるものであり、被告病院における処置とは何ら関係はない。現に西陣病院初診時のレントゲン写真でも骨折部の仮骨形成は不十分であり、昭和六二年一月二〇日に抜釘(第一次抜釘手術)をしたのはかえって時期尚早であった。

(三) 無断外出、外泊等の原告側の事情による障害の発生

原告は、被告病院入院中に頻回に外出、外泊(無許可の場合もあり)して安静を守っておらず、これにより骨折部の治癒が遅れて障害の発生に寄与した可能性があるし、また外出の際に外固定(ギプス)を勝手に外した公算が大きい。

被告病院退院後の事情は被告の知るところではないが、被告病院退院(昭和六一年一二月三〇日)から西陣病院初診(昭和六二年一月七日)までの間に原告の障害が発生、増悪したことも考えられるし、また原告は西陣病院通院中の昭和六二年五月七日に左肘に負傷をしており、これが現症状に影響しているものと思われる。

第三  証拠〈省略〉

理由

一当事者間に争いのない事実

請求原因1の事実(当事者)、原告が昭和六一年一〇月一〇日に両側前腕骨骨折(左橈骨末端粉砕骨折、右橈骨外顆骨折、右舟状骨骨折)の傷害を負って被告病院に入院したこと、同月一四日に被告病院で原告の両側前腕骨骨折に対する手術(本件手術)が施行され、その際に左前腕の骨折部(左橈骨末端)は二本のキュルシュナー鋼線とビスにより、右前腕の骨折部(右橈骨外顆)はビスによりそれぞれ固定(内固定)されたこと、同年一二月三〇日に原告が被告病院を退院したこと、被告が被告病院に勤務する医師ら(被告病院担当医)の使用者であり被告病院担当医の原告に対する治療行為が被告の業務の執行につきなされたものであること、原告と被告が昭和六一年一〇月一〇日に本件診療契約を締結し、被告病院担当医は被告の本件診療契約上の債務の履行補助者であることの各事実は当事者間に争いがない。

二原告の症状及び治療経過等

前記一の当事者間に争いのない事実に加え、〈書証番号略〉を総合すると、次のとおりの事実が認められる。

1  被告病院入院中における症状及び治療経過等

(一)  受傷後本件手術施行前まで

昭和六一年一〇月一〇日、原告は、酔余約六メートルの高さの橋から転落して両手首を骨折し(左橈骨粉砕骨折、右橈骨外顆骨折、右舟状骨骨折)、同日午前四時五八分に被告病院に救急入院した。入院直後、原告は興奮状態にあり、点滴を一旦は拒否し、心電図を撮ることもできなかった。被告病院では、原告の両手首のレントゲン写真を各二方向撮影し(なお、この写真は証拠として提出されていない。)、左橈骨骨折、右手首打撲、同捻挫と診断した(看護記録(〈書証番号略〉)のうち入院時の各種記録を記載した看護歴用紙中の病名欄)上、両手首をシーネ固定した。同日午後七時及び八時三〇分ころには、両手の疼痛、痺れ感の訴えがあった(看護記録(〈書証番号略〉)中の右各時点での記載)。

同月一一日、両手の痛みの訴えがあり、右手の腫脹が強く、原告の右手のレントゲン写真(〈書証番号略〉)が撮影された。

(二)  本件手術

同月一四日、被告病院勤務医(当時)の狭山医師(一般外科医)及び被告病院院長の泉谷守医師(一般外科医、以下「泉谷医師」という。)の執刀により原告の両手の骨折部に対する手術(本件手術)が施行された。術中所見では、左手橈骨末端部はほぼ粉砕骨折と思われる状態で六個の骨に分断され関節面にも三条の骨折線があり、右手は橈骨外顆部に骨折があった。かかる所見により左手には拘縮や可動制限が残るものと考えられた。左手側の骨折部(橈骨末端)はキュルシュナー鋼線二本とビスにより、右手側の骨折部(橈骨外顆)はビスによりそれぞれ固定(内固定)された。右手側はビスにより強固に固定できたので外固定(ギプス)はせず、左手側のみ外固定(ギプス)を施した。術後、両前腕のレントゲン写真が撮影され(但し、左手のレントゲン写真は証拠として提出されておらず、右手のレントゲン写真である〈書証番号略〉のみが証拠として提出されている。)、また被告病院担当医より原告の父母に対し、「両手の手術をしたが、右手は強固に整復したのでギプスは不要であり、左手は粉砕骨折で一か月以上ギプスが必要であり可動制限を残す。」旨の説明がされた。

(三)  本件手術後昭和六一年一〇月末まで

同月一五日、原告は泉谷医師の診察を受け、全指の血行は良好であるが感覚麻痺があると診断され、その際原告が痛がって非協力なために波動の有無は確認できない状態であった。同日、被告病院担当医より原告に対し、「右手はギプスは不要だが安静が必要である。左手はギプスが必要であり、また関節損傷があり可動制限がある。」旨の説明がされた。

同月一六日、一七日、一八日、二〇日にそれぞれ両手指が痺れるとの訴えがあり、同月二二日には両全指先が痺れるとの訴えがあったほか、被告病院担当医より原告に対し、「大きな神経の切断は術中に発見できなかった。」(カルテ〈書証番号略〉)旨の説明がされた。同月二七日ら二九日までの間にも両手指の痺れの訴えがあった。

同月三〇日、両手関節のレントゲン写真が各二方向撮影され(〈書証番号略〉)、転位なしとの診断がされた。手の痺れは改善し、腫脹も軽減したが、右手指の拘縮があったので訓練するように被告病院担当医より指示があった。

同月三一日、原告は、狭山医師の許可を受けて、午後六時から八時まで外出した。

(四)  昭和六一年一一月

同年一一月四日、両手関節が痛むとの訴えがあった。

同月七日、左前腕がうずき、左手指まで響くとの訴えがあった。左手の外固定がギプスシャーレにされた。

同月八日、右手創部に膿が出た。この件に関し、カルテ(〈書証番号略〉)に「(原告の)夫はやくざのような言葉で医師を脅している。」との記載がされた。

同月一〇日、左手指の痺れがあり痛いとの訴えがあった。被告病院担当医より原告に対し、右手創部の症状は化膿ではなく、また「痺れは循環不良なので運動不足による可能性大」との説明があった。

同月一二日、男性の見舞客が長時間にわたって原告に付き添うことに対して苦情の申入れがあったので、被告病院では原告の病室を女性の大部屋から個室に変更させた。

同月一五日、原告は午後五時から八時まで外出した(なお、被告病院入院中における原告の外出、外泊の状況は、後記するところのほか、別紙「原告の外出、外泊状況一覧」記載のとおりである。)。

同月一八日、左全指が寒いと痺れるとの訴えがあり、被告病院担当医は「循環は良いので、訓練不足である。」旨の説明をした。

同月二〇日、右手の痺れは改善したが左手はまだ痺れが残っていた。

同月二二日、疼痛は改善したが左手指の拘縮が強く、訓練ができていないものと診断された。被告病院担当医より「(訓練しないと左手指が)動かなくなる。」旨説明がされた。

原告は、同月二五日、左手の痺れが強いと訴え、同月二七日、左手指がビリビリするといい、同月二八日、二九日には両手指の痺れを訴えた。

(五)  昭和六一年一二月中旬ころまで

同年一二月二日、被告病院担当医により創の経過は良好であり左手指の他動運動制限はないものと診断されたが、原告は痛くて屈曲できないと訴えた。

同月六日、右手の指が曲がるようになり、左手の創部が縮小し、全体に腫脹が引いた。

同月八日、左手指の拘縮があり、被告病院担当医より手指の運動をするように指示がされた。

同月一二日、原告は起きたときに左右手指がビリビリするが感覚はあると訴えた。被告病院担当医は「小神経の損傷かもしれないが訓練指示」と診断した(カルテ(〈書証番号略〉))。

同月一四日、疼痛はなく、左手のギプスを外して三角巾にし、同月一六日にも疼痛、腫脹はなかった。

(六)  昭和六一年一二月下旬(被告病院退院直前)

同月二〇日、左手関節痛の訴えがあり、同月二二日にも手関節痛の訴えがあった(看護記録(〈書証番号略〉)中の右各日分の記載)。

同月二四、二五の両日、原告は狭山医師の許可を受けて外泊した。

同月二六日、原告が無断外泊をし、カルテにも「不在。退院の方向で」との記載がされ(〈書証番号略〉)、被告病院では原告を近々退院させることにした。

同月二七日、両手のレントゲン写真(〈書証番号略〉)が撮影された(なお、被告病院のカルテ(〈書証番号略〉)には同日に両手のレントゲン写真が撮影された旨の記載はないが、右両写真が同日に被告病院で撮影された原告の両手のレントゲン写真であるとについて当事者間に争いはない。)。この日、左手首は二〇度くらいの範囲で自動運動(掌屈、背屈)ができるだけで、拘縮が認められた。またカルテ(〈書証番号略〉)に「(同月)三〇日退院。半年で抜釘」との記載がなされ、狭山医師は一般的な抜釘時期としては概ね退院後半年くらいの心づもりでいたものの、原告に対し抜釘に関する説明は特にしなかった。

同月二九日、右手はほとんど拘縮はないと診断され、右第三指に痺れ感があった。左手指は全部痺れているとの訴えがあり、軽い拘縮があると診断された。疼痛はあるかないか(プラスマイナス(+-)という状態であった(看護記録(〈書証番号略〉)中の同日分の記載)。狭山医師は原告に対し、就業は可能であり休業の必要はないと説明した。この日、原告は午後九時四五分に外出先より被告病院に帰院した(前記看護記録)。

同月三〇日、原告は被告病院を退院した。

2  西陣病院における症状及び治療経過

(一)  初診時から抜釘手術施行前まで

昭和六二年一月七日、原告は両手首の痛み、痺れを訴えて西陣病院で受診し(初診)、これ以降西陣病院に通院した。この日、両手関節各二方向のレントゲン写真(〈書証番号略〉)が撮影された。

同月九日、原告は、西陣病院の中村隆一医師(消化器を中心とする一般外科医、以下「中村医師」という。)の診察を受け、その際に両手の強い疼痛と痺れを訴えた。中村医師の診断では、両手ともかなりの可動制限があり全方向(掌屈、背屈、橈側屈曲、尺側屈曲)にほとんど動かず、左手拇指の外転、屈曲がほとんどできない状態で、左手に内反手変形(橈骨関節面が壊れて沈み、尺骨が上に上がったような形になって手首の変形が見られる状態)があった。同医師は、レントゲン写真(〈書証番号略〉)を見てキュルシュナー鋼線が舟状骨にかかっているのではないかと考えたが、治療方針等に関し整形外科医の診察を受けるのが好ましいと思い、当時西陣病院で週一回診察を担当していた勝又星郎医師(京都第一赤十字病院整形外科部長、以下「勝又医師」という。)の診察を受けるよう原告に指示した。

同月一二日、勝又医師は原告を診察し、左手関節に屈曲位拘縮(三五度の屈曲位で動かない)ありと診断した。左手関節は背屈ができず掌屈も三五度の屈曲位からあまり動かず、また左拇指は伸ばしにくい状態であり、右手は可動制限があったが左側ほどではなかった。昭和六二年一月七日撮影のレントゲン写真(〈書証番号略〉)で、左手に刺入されたキュルシュナー鋼線が手根骨の掌側まで抜けて伸びてきて軟部組織(その下には神経、血管が豊富にある。)にかかっている像が認められた。勝又医師は、左橈骨骨折部の仮骨形成が未だ十分ではないのでもう少しキュルシュナー鋼線を入れておくべきかとも思ったが、西陣病院初診時での原告の左手の痛みと痺れは骨折変形(関節面が壊れて変位している)とキュルシュナー鋼線とによるもの(つまりキュルシュナー鋼線が痛みの一因)であり、痛み等の緩和のためには左手の抜釘手術を施行する必要があると診断した。

同月一六日、原告は「結果も良いということで退院許可を出されたが、他病院でこのままでは左手は一生曲がらないと言われ、再手術を受けなければならなくなった。」等と記した被告病院宛ての手紙(〈書証番号略〉)を作成し、その後この手紙は被告病院に到達した。

(二)  抜釘手術(第一次及び第二次)

昭和六二年一月二〇日、西陣病院において勝又医師の執刀、中村医師の立会いにより抜釘手術(第一次抜釘手術)が施行され、左手の抜釘が終了した。

第一次抜釘手術後、いっとき疼痛の軽減がみられたが、その後、術後のリハビリが開始された同年二月一八日ころから再び痛みの訴えが強くなった。また右リハビリ開始のころから左拇指の外転、屈曲が徐々にできるようになり可動制限については改善がみられた。

勝又医師は原告の右拇指が動きにくいことから右手についても抜釘することとし、同年三月一六日、西陣病院において勝又医師の執刀(中村医師の立会いはなかった。)により第二次抜釘手術(右手側)が施行されたが、ビスが骨にしっかりと入っており無理をすると組織が壊れるため、抜釘はできなかった。

(三)  抜釘手術後昭和六二年中

第二次抜釘手術後、右手側のリハビリが行われ、その際のリハビリ記録(実施日不明であるが、証人中村隆一尋問の結果による。)では原告の右手首の可動域は正常値の四〇ないし六〇パーセント、右手指の可動域は正常値の六〇ないし七〇パーセントであった。

また左手の抜釘(第一次抜釘手術)後、原告の左拇指の可動制限は緩和したが、内反手変形は西陣病院での中村医師の初診当時よりも進行、増強していき(なお、変形自体は右初診当時既に認められていた。)、同年四月二一日、勝又医師は原告の左手尺骨骨頭の亜脱臼の矯正のためには尺骨骨頭の切除手術を施行するのが適当であると考え、その旨を西陣病院カルテ(〈書証番号略〉)に記載したが、結局その後も尺骨骨頭の切除手術は施行されていない。

同年五月一二日、原告が「一昨日転倒して左肘を負傷(擦傷)」したと訴えて来院し、「運動はある程度可能」と診断された。

同年七月六日、勝又医師は「(病名)左右手関節外傷性関節炎、左内反射(いずれも橈骨骨折後)」との診断書(〈書証番号略〉)を作成した。同診断書には「内反二〇度、屈二〇度、伸二〇度」との記載がある(なお、左肘ROMの記載があるけれども、左肘の点は誤記と思われる。)

(四)  昭和六三年中(最終通院日まで)

勝又医師は、昭和六三年二月八日、左内反手変形に対する尺骨骨頭の切除手術の施行を考え、また痛みは前腕内外末端の部位にあると診断してその旨を西陣病院カルテ(〈書証番号略〉)に記載したが、その後も尺骨骨頭の切除手術は施行されていない。

同年七月から一二月一四日までの間、原告は一度も西陣病院に通院しなかった。

同年一二月一五日、原告は西陣病院で中村医師の診察を受け、これが西陣病院への最終通院日となった(実通院日数一九三日)。原告は「最近この部位(西陣病院カルテ(〈書証番号略〉)の同日部分に記載された左手の図中に矢印で示された部位で、左橈骨茎状突起の掌側付近と思われる。)が以前より痛い。」と訴え、同部位はやや膨隆しているが波動はなく、やや圧痛がある状態であった。中村医師は、原告が今後も西陣病院への通院を継続するものと思っていたため、同日の左手首、左手指(特に拇指)の可動制限につき精査はしなかったが、印象としては左拇指はかなり動いていたようであった。

3  以上のとおり認められる。

原告本人尋問の結果中には、前記1の認定事実に反し、被告病院入院直後に点滴を一旦拒否したり興奮のため心電図を撮ることができない状態であったこと、橋からの転落事故前に多量に飲酒したこと、本件手術の翌日の昭和六一年一〇月一五日に「左手は関節損傷があり可動制限が残る。」旨の説明を受けたこと、被告病院入院期間中に無断外出、外泊をしたことをいずれも否定する部分が存し、同人作成の陳述書(〈書証番号略〉)中これに沿う部分もあるけれども、被告病院のカルテ及び看護記録(〈書証番号略〉)の関係各記載に照らし、原告の右供述及び〈書証番号略〉はいずれも到底措信することができない。

証人狭山信矩の証言中、前記1の(六)の認定事実に反し、「昭和六一年一二月二七日に『半年くらい後に抜釘をしましょう。』という話を原告に対し告げており、その際泉谷医師も側に居て狭山医師の原告に対する説明内容を確認した。」旨の部分があるけれども、原告本人尋問の結果によっても右事実が否定されていること、また被告代表者本人尋問の結果によれば「泉谷医師は抜釘の一般論としては粉砕骨折では手術後半年くらいの固定が必要だという話を狭山医師としたが、レントゲン写真等に照らして原告の具体的な抜釘の時期につき指示したことはなく、原告に対し抜釘の話をしたことは一度もない。」ことが認められることも考え併せると、証人狭山の右証言はにわかに措信できない。

他に前記1及び2の認定を左右するに足りる証拠はない。

三鑑定人の医学的所見及びこれに対する当裁判所の判断

鑑定人医師中林幹治(神戸大学医学部整形外科助手、以下「中林医師」という。)の鑑定の結果(以下「中村鑑定」という。)及び同証人の証言を総合すると、原告の左右各手の症状経過(レントゲン所見)、現症状(可動制限等)及び可動制限等の原因のほか、本件手術での左手に対する内固定手技の適否、被告病院退院以前での左手側の抜釘の要否、右手舟状骨骨折に対し手術をすべき時期の各事項に関し、中林医師は次の1及び2のとおりの医学的所見を有していることが認められる。

1  左手関係

(一)  被告病院退院直前に撮影されたレントゲン写真(〈書証番号略〉)の所見

左橈骨骨折部に短縮が起こり、骨癒合が得られていないし、骨折部が背側に変形している。また尺骨遠位端が出っ張って脱臼しているため尺骨神経麻痺を二次的に合併することが考えられる状態にある。

内固定材料として刺入された二本のキュルシュナー鋼線が骨髄内に入っていて何ら骨折部の固定には役立っておらずこのままでは骨癒合を得にくいこと及び手関節に変形がある(骨折部が短縮し、骨片が背側に転位している。)ことから、抜釘の上再手術等の新たな処置をする必要がある。

内反手変形については、現在ほどの変形はなく、変形があるにしてもまだそれほどではないものと思われる。

これらの所見と後記(二)の西陣病院初診時でのレントゲン所見とを比べても大差は認められない。

(二)  西陣病院初診時に撮影されたレントゲン写真(〈書証番号略〉)の所見

左橈骨骨折部が短縮して骨片が背側に転位して変形し、骨癒合が不十分な状態であり、骨萎縮もある。ピン(キュルシュナー鋼線)が抜けて骨片には通っておらず骨髄内に入っていて何ら骨折の手術とは関係のないところに入っている。

(三)  左手側の現症状

中林医師が鑑定のため平成四年一月に原告を診察した際の診断結果によれば、左手側は、手関節の機能障害(可動制限)のほか、正中神経、尺骨神経障害による手指の障害、すなわち、全指及び掌全部(正中神経、尺骨神経領域)に痺れがある。この痺れは手術瘢痕の周囲と内反手変形によるもの(正確には手部の背側転位、尺側偏位及び尺骨遠位端の突出による正中神経、尺骨神経領域の知覚純麻)が混在している。左手指の可動域はまあまあだが、筋力が非常に微弱な状態である。

(四)  本件手術(左手側の内固定手技)の適否

(1) 一般に内固定材料としてキュルシュナー鋼線を用いた場合にはこれによる固定性は強くなく、本件手術で施行されたようなキュルシュナー鋼線(二本)とビスによる内固定方法では本症例のような橈骨末端での粉砕型の骨折部に対し十分な固定性を得られない。また不適切な内固定方法や不適切、不十分な外固定方法、外固定期間が原因となり内固定材料として刺入されたキュルシュナー鋼線が術後に移動することがよく見られる。

(2) 被告病院退院直前に撮影された原告の左手のレントゲン写真(〈書証番号略〉)をみると本件手術で刺入された二本のキュルシュナー鋼線は骨髄内に入っていて何ら骨折部の整復、保持には役立っておらず、このことからみてこれらのキュルシュナー鋼線の刺入方向が不適切であったことが指摘される。

キュルシュナー鋼線の刺入位置(手術創の位置に照らしキュルシュナー鋼線は橈骨の掌側の茎状突起から刺入されたものである。)については不適切であったとはいえない。

結局、原告の左橈骨末端の骨折部(粉砕型の骨折であり、整復、保持が困難であることは術前から予想されたことである。)に対して施行された治療(本件手術)は、内固定材料が何ら骨折部の整復、保持に役立たなかったこと及び内固定材料の二本のキュルシュナー鋼線が後に障害を引き起こしたことの二点から、拙劣であったといわざるを得ない。

(3) 骨折部を強固に固定し、かつ術後にキュルシュナー鋼線が突出、移動して神経、血管を圧迫、刺激する事態を招かないためには、中林医師が本件手術を執刀するとしたら、刺入部位については橈骨茎状突起からキュルシュナー鋼線を刺入することとし、内固定方法については「一番いいのは(キュルシュナー鋼線を)クロスにできれば刺入してケンジョウまで入れればいいんですが、それは非常に難しいので、一つの手段としてはここに尺骨があります。こちらに(キュルシュナー鋼線を)ぽんぽんと一杯入れる方法があり……」〈(同証人の証人調書一二丁裏)〉、この方法による内固定を行う。

(4) (「内固定が不十分でも外固定が適切にしてあれば骨折部の固定性は十分ではないか」との質問に対し)整形外科では外固定(ギプス)をした場合でも手指の機能障害を残さないために手指を動かすように患者に指示するので内固定がしっかりしていないと筋肉の収縮によりピン(キュルシュナー鋼線)はいくらでも動くものであるから、外固定が適切に施されていても内固定自体が不十分であればやはり骨折部の固定性は十分ではない。

(五)  左手側の可動制限等の原因

(1) 不適切な内固定方法に原因する骨折部(左橈骨末端)の固定性不良のため術後の骨萎縮が増強された(骨萎縮自体は全ての骨折後の治療中に大なり小なり見られるものであるが、不適切な固定によりその程度が強くなることが多い。)上、術後の骨萎縮や骨折部の固定性不良によりキュルシュナー鋼線が術後に末梢部(手指方向)に突出して神経、血管を圧迫、刺激したために手指の痺れ、疼痛、運動制限を来した。

(2) 一般に橈骨末端部での粉砕型の関節内骨折における合併症として正中神経麻痺による手指の痺れ、疼痛、可動制限があるけれども、適切な治療が施されていれば骨折によるこれらの障害は最小限に軽減することができ、原告に現在のような強い変形、知覚障害、機能障害が残ることは少なかったと考えられる。

すなわち、原告には橈骨末端骨折自体の変形が残っているので骨折自体による痺れ、神経障害の発生が考えられ、また初めに(受傷直後の被告病院初診時に)原告の手指に麻痺があれば(なお、被告病院初診時でのカルテ(〈書証番号略〉)には麻痺の有無に関する記載がされていない。)骨折自体による神経障害が原告の現症状に関与しているものといえる。しかし、治療のやり方によっては外観上変形を残さず可動域も現状よりも良い状態にまで治すことが可能であったといえる。

前記(三)の原告の現症状に対し、橈骨末端骨折自体と内固定材料のキュルシュナー鋼線の突出による神経、血管の圧迫、刺激とがそれぞれどのくらい寄与しているかは分からない。

(3) 左側の強い機能障害の原因としては、前記のようにキュルシュナー鋼線を用いた初回手術手技(被告病院施行の本件手術の左手側内固定手技)が不適切であったことのほか、抜釘手術(西陣病院施行の第一次抜釘手術)後も骨癒合が不十分であり外固定が必要であったのに抜釘以外の処置が何ら施されなかったために内反手変形が進行したものといえる。

但し、右に示した西陣病院における第一次抜釘手術後の事情は前記(三)の原告の現症状の従たる原因である。

(六)  被告病院退院以前での抜釘の要否

左手側のような粉砕骨折の場合、通常骨癒合が遷延するので抜釘には日数を要するものと考えられる。但し、骨癒合が不十分であっても内固定材料のキュルシュナー鋼線が神経、血管を圧迫、刺激することにより手指の痺れ、疼痛が生じた場合には、神経障害は早い目に処置をしておかないと長い間障害が残るものだから、速やかに抜釘をして神経障害の原因を取り除くことが必要である。なお、抜釘後骨癒合が得られていなければ外固定が必要となる。

また前記(一)のとおり、名固定材料として刺入された二本のキュルシュナー鋼線は骨髄内に入っていて何ら骨折部の固定には役立っておらずこのままでは骨癒合を得にくいこと及び手関節に変形があることから、抜釘の上再手術等の新たな処置をする必要があった。

2  右手関係

(一)  被告病院退院直前に撮影されたレントゲン写真(〈書証番号略〉)の所見

舟状骨骨折部分の骨癒合はできておらず転位もあるが、内固定材料のビスは舟状骨には接しておらず、また右時点において抜釘(内固定材料のビスの除去)を必要とする事情は特に指摘されない。

この写真が撮影された時点では、後記(二)の中林医師の診察時と異なり、舟状骨が溶けた状態は認められない。

(二)  右手側の現症状

中林医師が鑑定のため平成四年一月に原告を診察した際の診断結果によれば、右手側は、手関節の動きはそれほどなく、拇指のMP関節の屈曲拘縮があって(三〇度以上伸びない)機能障害が強い。また既に舟状骨が溶けた状態であり、右手側の現症状の改善は不可能である。

(三)  右手側の可動制限の原因

原告の右手側の可動制限はビスによるものではなく、主に手骨のうち舟状骨の骨折に対して治療がなされていないためと考えられる。

すなわち、一般に舟状骨は拇指の動きに非常に関係する手根骨の一つであり、また舟状骨は橈骨末端と関節面を作っているのでこれが損傷すると手関節の動きが悪くなるものである。さらに一般に骨折の手術は急性期に施行すべきものであり時間が経つほど手術が困難となり、殊に舟状骨の骨折は骨が付きにくい(骨癒合を得にくい)場所であるから骨折を発見したら固定の上手術することが大切であり、放置すればやはり障害が残る。

(四)  右手舟状骨骨折に対し手術をすべき時期

本件では日時を置いて手術をするとしても受傷後二週間以内には右手舟状骨骨折に対する治療(手術)を施行すべきであった。

3 右1及び2の中林医師の各医学的所見(但し、原告の後遺障害の障害等級に関する事項については後記八で判示するので除く。)を左右するに足りる証拠はなく、右所見はいずれも十分に首肯し得るものであり適正な医学的知見であると評価し得るが、以下いくつかの点につき補足的に説示をしておくこととする。

(一)  左手末梢部(手指方向)に突出したキュルシュナー鋼線が原告の左手指の疼痛、痺れ、運動制限を来していたことについて

前記1の(五)の(1)のとおり、中林医師の医学的所見によれば、術後に末梢部(手指方向)に突出したキュルシュナー鋼線が原告の左手指の疼痛、痺れ、可動制限を来したというのであるが、前示二の2の(一)のとおり、勝又医師もまた突出したキュルシュナー鋼線が西陣病院初診時(抜釘前)での左手の痛みと痺れの一因となっているものと診断したこと、昭和六二年一月七日撮影の原告の左手のレントゲン写真(〈書証番号略〉)ではキュルシュナー鋼線が軟部組織(その下には神経、血管が豊富にある。)にかかっていたこと、前示二の2の(二)のように抜釘手術(第一次)後には左手側の痛み、可動制限につき一応の改善、緩和がみられたといえることの各事情を総合すれば、中林医師の前記所見は十分に首肯し得るものであり、本件手術後に末梢部(手指方向)に突出したキュルシュナー鋼線が原告の左手指の疼痛、痺れ、運動制限を来したものと認めることができる。

被告は、術後に撮影された原告の左手レントゲン写真を見てもキュルシュナー鋼線は正中神経、橈骨神経、尺骨神経のいずれにも触れておらず、キュルシュナー鋼線が突出した場合に手首に支障をもたらすことはあり得るにしても手指に疼痛等の障害を来すことはあり得ない旨主張しているけれども、右に説示したところに照らせば被告の右主張は採用することができない。

(二)  左橈骨末端骨折自体による手指の神経障害が生じていたことについて

一般に橈骨末端部での粉砕型の関節内骨折における合併症として正中神経麻痺による手指の痺れ、疼痛等があること、初めに(受傷直後の被告病院初診時に)手指の麻痺があると原告の左手指の痺れ等の現症状中に橈骨末端骨折自体による神経障害が関与しているといえること、原告は被告病院初診時の昭和六一年一〇月一〇日午後七時及び八時三〇分ころに両手の痺れ感を訴えたこと、原告の左橈骨末端骨折部の受傷状況は粉砕型の関節内骨折であり六個の骨に分断され関節面にも三条の骨折面があるので変形、可動制限が残りやすいという重篤なものであったことはいずれも先に判示したところであり、以上の各事情を総合考慮すれば、原告に左橈骨末端骨折自体による手指の神経障害が生じていたものと認められる。

四被告病院での原告の左手に対する処置の適否(過失の有無)について

1  キュルシュナー鋼線の刺入位置(請求原因4の(一))について

中林鑑定及び同証人の証言を総合すると、中林医師は、「原告の左手のレントゲン写真(〈書証番号略〉)ではあたかも内固定材料として刺入されたキュルシュナー鋼線が左手の舟状骨に接しているようにもみえ、またキュルシュナー鋼線は舟状骨に近い位置にあるけれども、手根骨の掌側凹配列を考慮すると被告病院、西陣病院でそれぞれ撮影された原告の左手の全レントゲン写真(〈書証番号略〉)をもってもキュルシュナー鋼線が舟状骨に接しているか否かを断定することはできず、これを確定するにはさらに多方向からのレントゲン写真が必要である。」「当初(本件手術時)は舟状骨から離して刺入されたキュルシュナー鋼線が後に(術後に)移動したものと考えられる。」等と指摘して、本件手術時にキュルシュナー鋼線が左手の舟状骨に接していた事実につき否定的な医学的所見を有していることが認められ、右所見はこれを十分に首肯することができ、これを覆すに足りる証拠はない。

したがって、本件手術時に内固定材料として刺入されたキュルシュナー鋼線が原告の左手の舟状骨に接して刺入された事実を認めることはできず、この点に関する原告の主張(請求原因4の(一))は理由がない。

2  本件手術(内固定手技)の適否(請求原因4の(二))について

本件手術後にキュルシュナー鋼線が末梢部(手指方向)に突出し、これによりキュルシュナー鋼線が骨折部の整復、保持に何ら役立っていないばかりか原告の前示各障害を来すという不適切な事態が生じ、その原因として本件手術の内固定方法の不適切(キュルシュナー鋼線の刺入方向の誤り)を指摘し得ること、一般に本件手術で施行されたような二本のキュルシュナー鋼線とビスによる内固定方法では本症例のような橈骨末端での粉砕型の骨折部に対し十分な固定性を得られず、また内固定方法の不適切、外固定の方法及び期間の不適切、不十分によりキュルシュナー鋼線が術後に移動することがよく見られること、骨折部を強固に固定し、かつ術後にキュルシュナー鋼線が突出、移動する事態を招かないための内固定手技、方法を具体的に提示し得ること(前示三の1の(四)の(4)の中林医師の内固定手技、方法)はいずれも前示三の医学的知見のとおりであり、以上の各事情を総合すれば、前示した原告の左手の受傷状況から推測される本件手術の困難さを斟酌してもなお、本件手術の内固定手技は術式選択上の裁量を逸脱したものであり、一般医療水準に達しない過誤(キュルシュナー鋼線の刺入方向の不適切及びこれによる骨折部の固定性不良)があるものというよりほかない。

3  抜釘の要否(請求原因4の(三))について

前示三の医学的知見によれば、一般に粉砕骨折の場合には通常骨癒合が遷延するので抜釘には日数を要すると考えられるが骨癒合が不十分であっても内固定材料のキュルシュナー鋼線が神経、血管を圧迫、刺激することにより手指の痺れ、疼痛が生じた場合には速やかな抜釘を要するところ、末梢部(手指方向)に突出したキュルシュナー鋼線が現に原告の左手指の痺れ、疼痛や可動制限を来していた上、被告病院退院直前ころ(〈書証番号略〉のレントゲン写真撮影時)にはキュルシュナー鋼線が何ら骨折部の整復、保持に役立っておらずこのままでは骨癒合を得にくいし、尺骨遠位端が出っ張って尺骨が脱臼しており尺骨神経麻痺を二次的に合併するおそれもあったので、被告病院退院直前ころにはキュルシュナー鋼線を抜釘した上で新たな何らかの処置(再手術等)を施行することが必要な状態であったというのである。

以上の事情に加え、被告病院退院直前に撮影された原告の左手のレントゲン写真(〈書証番号略〉)像により認められる二本のキュルシュナー鋼線の突出状況に照らせば、①右のレントゲン写真は、これを見た医師に対し、被告病院入院中に生じていた原告の左手指の痺れの原因としてキュルシュナー鋼線が関与しているのではないかとの疑いを持たせるのに十分なものであったといえるし、②また右のレントゲン写真の撮影当時、これらのキュルシュナー鋼線は、将来さらに末梢部(手指方向)に突出、移動して正中神経等に触れる等して、一層の手指の疼痛、痺れ、運動制限を招来するおそれの大きい状態であったと推認することができ、これらの事情も考え併せれば、遅くとも原告が被告病院を退院する昭和六一年一二月三〇日までには抜釘及び再手術等の必要な処置が適宜施されるべき状態であったと優に認められる。(なお、被告病院退院後に原告の障害が発生、増悪した可能性があるとの被告の主張については後記六で判示する。)

4  左手に関する被告病院担当医の過失内容

以上判示したところによれば、被告病院担当医は、原告の左橈骨末端骨折部(粉砕型の関節内骨折)に対する骨接合術(内固定)を施行するに際し、骨折部を強固に固定すること及び内固定材料に用いるキュルシュナー鋼線が術後に突出して神経、血管を圧迫、刺激して患者の疼痛、痺れ、運動制限等の障害を来さないようにすることに注意して適切な内固定方法を選び、また術後の経過観察に際しては、内固定材料(キュルシュナー鋼線、ビス)が骨折部の整復、保持に役立っているかどうか及び内固定材料として用いたキュルシュナー鋼線が術後に突出して疼痛、痺れ、可動制限等の障害を来していないかどうかにつきレントゲン写真等により十分に精査、把握し、内固定材料(キュルシュナー鋼線、ビス)が骨折部の整復、保持に役立たなかったりキュルシュナー鋼線が突出して右各障害を来した場合には、抜釘(キュルシュナー鋼線等の内固定材料の除去)や再手術等の処置を適宜施行すべきであったのに、これを怠り、本件手術の施行に際し、キュルシュナー鋼線の刺入方向を誤り不適切な内固定手技を行ったため内固定材料(キュルシュナー鋼線、ビス)が骨折部の整復、保持に何ら役立たないのみならずキュルシュナー鋼線の突出を一因とする手指の疼痛、痺れ、可動制限の障害を招来した上、術後の経過観察に際し、被告病院退院直前に撮影されたレントゲン写真(〈書証番号略〉)で明らかに内固定材料(キュルシュナー鋼線、ビス)が骨折部の整復、保持に役立っていないのみならずキュルシュナー鋼線が末梢部(手指方向)に突出している像が認められ、しかもこの突出したキュルシュナー鋼線が一因となって原告の手指の疼痛、痺れ、可動制限を来たす等、抜釘(キュルシュナー鋼線等の除去)や再手術等の処置を適宜施行すべき状態であったのに、右症状を軽視又は看過し、同病院退院時までに原告に対し抜釘等の必要な処置を何ら講じなかった過失があるものということができる。

五被告病院での原告の右手に対する処置の適否(過失の有無)について

1  抜釘の要否(請求原因4の(三))について

前示三の医学的知見によれば、右手側の可動制限の原因は内固定材料のビスによるものではなく主に手骨のうち舟状骨骨折に対して治療がなされていないことによるものであって、被告病院入院中に右手側の抜釘を必要とする症状があったとはいえないから、この点に関する原告の主張(請求原因4の(三))は理由がない。

2  舟状骨骨折に対する不処置(請求原因4の(四))について

被告病院退院直前に撮影された原告の右手のレントゲン写真(〈書証番号略〉)では右舟状骨骨折部分の骨癒合が得られていない上転位も認められること、一般に舟状骨は拇指及び手関節の動きに関係する手骨であること、骨折の手術は急性期に施行すべきもので時間が経つほど困難となり特に舟状骨骨折は骨癒合を得にくい場所であること、本件では日時を置いて手術をするとしても受傷後二週間以内には原告の右手舟状骨骨折に対する治療(手術)を施行すべきであったことはいずれも前示三の医学的知見のとおりである。

また一般に舟状骨骨折はX線診断が困難でありしばしば捻挫として放置されることが多いと言われている(医学文献「整形外科クイックリファレンス〔山梨医科大学教授赤松功也編集、文光堂、一九九二年発行版〕」二一七頁等)ことに照らすと、転院先の西陣病院においても原告の右手舟状骨骨折に対し特に処置がなされていない事実はこれに対する治療の必要性を否定するものではないというべきである。

以上によれば、原告の右手舟状骨骨折は積極的な治療(手術等)を要する症状であったと優に認めることができるから、被告病院担当医は、原告の右手舟状骨骨折に対し受傷後二週間以内には治療(手術等)を施行すべきであったのに、これを怠り、右手舟状骨骨折の症状を軽視又は看過してこれに対し何らの治療も施さなかった過失があるということができる。

六被告病院退院後に原告の障害が発生、増悪した可能性について

被告は、被告病院退院時(昭和六一年一二月三〇日)から西陣病院初診時(昭和六二年一月七日)までの間に原告の障害が発生、増悪したことも考えられると主張するところ、なるほど、前示二の症状経過のとおり被告病院退院時にはあるかないかという程度だった原告の痛みの訴えが西陣病院初診時には増強しており、また証人中林の証言中に被告病院退院後に原告の左橈骨骨折部(被告病院入院中にも徐々に変形していた)が強く動いたりキュルシュナー鋼線が神経に触れたりした可能性があることを首肯する部分もある。

しかしながら、前示四の3及び4のとおり、原告は被告病院退院直前には既にキュルシュナー鋼線が左橈骨末端骨折部の整復、保持に何ら役立たず、かつ末梢部(手指方向)に突出したキュルシュナー鋼線が左手指の疼痛、痺れ、可動制限等を来す等、抜釘(キュルシュナー鋼線等の除去)や再手術等の処置を適宜施行すべき状態となっており、また前示五の2のとおり、原告は被告病院退院直前には右舟状骨骨折部分の骨癒合が得られていない上転位も認められる状態であり、受傷後二週間以内には右舟状骨骨折に対する手術等の処置が必要であったというのであるから、以上の各事情を総合すれば、原告が前記症状のままで被告病院を退院すればその後に左右の各骨折部(整復、保持が不十分であり、骨癒合が不十分で転位を生じている。)が強く動いたり末梢部(手指方向)に突出した左手側のキュルシュナー鋼線がさらに移動して神経を一層障害したりするおそれの大きい状況であったことは明らかであり、また被告病院担当医はレントゲン写真等により原告の前記症状を把握し得たから、同病院退院後に原告の骨折部が強く動いたりキュルシュナー鋼線が神経に触れたたりするおそれが大きいことを事前に十分に予測し得たはずであり、さらに原告が被告病院を退院するまでに抜釘や再手術等の必要な処置を適切に施せば退院後に骨折部が強く動いたりキュルシュナー鋼線が神経に触れるような事態は容易に回避し得るものである。

したがって、被告病院退院後に原告の骨折部が強く動いたりキュルシュナー鋼線が神経に触れたりした可能性があるからといって、被告病院担当医の過失が否定されたり、右過失と原告の後記八の後遺障害との間の相当因果関係が否定されることになるものではないというべきである。

七被告の責任

被告は被告病院担当医の使用者であること、被告病院担当医の原告に対する治療行為は被告の業務の執行につきなされたものであることはいずれも当事者間に争いがなく、原告の左右両手に対する被告病院担当医の処置には前示四及び五のとおりの過失があったから、被告は民法七一五条に基づき原告に生じた損害を賠償する責任を負うものである(なお、後遺障害による損害につき被告が賠償すべき範囲は、後記九で判示する。)。

八原告の後遺障害の内容、程度(障害等級)

1  鑑定人中林医師の医学的所見

同証人の証言によれば、同医師は、原告の後遺障害の内容、程度(障害等級)につき次のとおりの医学的所見を有していることが認められる。

(一)  原告の後遺障害は、左手は手関節の著しい機能障害(手関節の運動可能領域が健側の運動可能領域の二分の一以下に制限されているものを指し、労災障害等級では一〇級の九に、身体障害者等級では五級にそれぞれ該当する。)であり、右手は拇指の著しい機能障害(拇指の運動可能領域が健側の運動可能領域の二分の一以下に制限されているものを指し、労災障害等級では一〇級の六に、身体障害者障害等級では六級にそれぞれ該当する。)である。

(二)  原告の後遺障害に関する診断は鑑定のため平成四年一月に施行された中林医師の診察(一回)によるものである。なお、通常は一回の診察では後遺障害の診断、認定はしていない。

2  当裁判所の判断

(一)  左手について

前示の原告の左橈骨末端の受傷状況(粉砕型の関節内骨折であり六個の骨に分断され関節面にも三条の骨折面があるので変形、可動制限が残りやすい)及び西陣病院での左手関節の可動状況や症状経過に照らし、原告の左手の後遺障害の内容、程度(障害等級)に関する前記1の中林医師の所見はこれを首肯することができ、これを覆すに足りる証拠もないから、原告の左手には労災障害等級の一〇級の九に該当する手関節の著しい機能障害(手関節の運動可能領域が健側の運動可能領域の二分の一以下に制限されているもの)があるものということができる。

また原告が西陣病院最終診察日の昭和六三年一二月一五日以降治療を受けていないことに照らし同日症状固定したものというのが相当である。

(二)  右手について

(1) 原告の右拇指の可動制限の程度

前示三のとおり、中林医師は、原告の右拇指のMP関節に三〇度の屈曲拘縮(三〇度以上伸びない)があり、これが拇指の「著しい機能障害」(運動可能領域が健側の運動可能領域の二分の一以下に制限されているもの。なお、拇指のMP関節の屈指方向の正常可動域は〇〜六〇度である。)に該当するものと診断したというのである。

しかしながら、前示二の2の(三)のとおり西陣病院での第二次抜釘手術後のリハビリ時には原告の右手指の可動域は正常値の六〇ないし七〇パーセントであったこと、前示1の中林医師の障害等級の診断は鑑定のための一回限りの診察によるものであること、前示の中林医師の診察時での右拇指のMP関節の可動域の数値(健側の運動可能領域のぎりぎり二分の一にあたる。)の各事情を総合考慮すると、原告の右拇指の運動可能領域が健側の運動可能領域の二分の一以下に制限されているものと即断することはできず、むしろ、原告の右拇指の運動可能領域は健側の運動可能領域の四分の三以下に制限されているものというべきである。

(2) 原告の右拇指の障害等級

労災及び自賠責の各障害等級表における手指の機能障害の等級付けの仕方をみると、等級付けの要素としては機能障害(可動制限)の生じた手指の部位、本数の組合せのみが規定され、手指の可動制限の程度については手指の「用を廃したもの」(運動可能領域が健側の運動可能領域の二分の一以下に制限されているもの)という単一の基準しか存しないけれども、前記「用を廃したもの」に至らない程度の手指の可動制限が生じた場合に労働能力が喪失することが一切あり得ないわけではないから、右規定は手指の可動制限が前記「用を廃したもの」に該当する程度であるか否かが手指の可動制限による労働能力の喪失の程度を大きく左右する重要な要素であることに着目したものにすぎず、前記「用を廃したもの」に該当する手指の可動制限がある場合に限り障害等級該当の後遺障害として、それに至らない後遺障害をすべて右等級に該当しないとするものではないというべきである。したがって、前記「用を廃したもの」に至らない程度の手指の可動制限が生じた場合でも、手指の可動制限の程度(但し、それが「用を廃したもの」に該当するか否かは労働能力喪失の程度如何に関わる重要な要素である。)、可動制限の生じた手指の部位や本数の組合せ及び右各事項が年齢、性別、職業等に照らし労働能力に与える影響の内容、程度を総合考慮して、その障害等級を認定することができるものということができる。

これを本件につきみるに、前示(1)の原告の右拇指の可動制限の程度(運動可能領域が健側の運動可能領域の四分の三以下に制限されている)及びそれが原告の年齢、性別、職業(後記一〇の5)等に照らしその労働能力に及ぼす影響の内容、程度を総合考慮すると、原告の右拇指には労災障害等級一三級相当の後遺障害があるものというべきである。

(3) 原告が西陣病院最終診察日の昭和六三年一二月一五日以降治療を受けていないことに鑑み右同日症状固定したものというのが相当である。

(三)  併合による障害等級の繰上げ

右(一)及び(二)のとおり、原告の左手関節には労災障害等級一〇級該当の、右拇指には同等級一三級相当の各後遺障害があるところ、同等級一三級以上に該当する身体障害が二以上あるときは併合により重い方の等級を一級繰り上げるべきであるから、重い方の左手側の等級(一〇級)を一級繰り上げると、原告の障害等級は同等級の九級となる。

九後遺障害による損害につき被告が賠償すべき範囲

1  骨折自体が寄与した部分について

前示三の1の(五)の医学的知見によれば、原告の左手の後遺障害の発生原因として、転落事故による左橈骨末端骨折自体も挙げられる(これに対し、前示三の2の(三)のとおり右手に生じた後遺障害は主に手骨のうち舟状骨骨折に対する治療懈怠によるものであるから、橈骨外顆部の骨折自体に起因するものとは認められない。)というのである。

そこで進んで、原告の後遺障害(左右両手を通じた全体)のうち転落事故による左橈骨末端骨折自体に起因する割合につき判断するに、①前示の原告の左橈骨末端の受傷状況(粉砕型の関節内骨折であり、六個の骨に分断され関節面にも三条の骨折面があるので変形、可動制限が残りやすい。)及び証人勝又医師の証言中「左手は粉砕骨折なので、後に可動制限が残ることはやむを得ない。」旨の、証人中村医師の証言中「この部位(左橈骨末端)の骨折はよほど上手くいっても関節の運動制限等が残りやすく、本件患者の場合何をしても(どんな治療をしても)ある程度は怪我そのものによって運動制限等が起こったものと思われる。」旨の各部分に照らし前示八の原告の後遺障害の主要な(障害等級の対象となる)症状である左手関節の可動制限は主に左橈骨末端骨折自体による関節面破壊に起因するものというべきであること、②前示三の3の(二)のとおり被告病院初診時に既に左橈骨末端骨折自体による手指の神経障害が発生していたものと認められることの各事情を総合考慮すると、原告の左手に生じた後遺障害の六割は転落事故による左橈骨末端骨折自体に起因するものというのが相当である。そして、この認定事実に前示八の原告の後遺障害の程度(左右両手の各障害等級)を考え併せると、原告の後遺障害(左右両手を通じた全体)のうちの五割は医師の処置如何に関わらず転落事故による左橈骨末端骨折自体に起因して発生したものというのが相当である。

ところで、被害者に対する加害行為と被害者の罹患していた疾患(加害行為前にこれとは無関係な事故により生じた傷害)とが共に原因となって損害が発生した場合において、当該疾患(傷害)の態様、程度等からみて加害者に損害の全部を賠償させるのが公平を失するときは、損害の公平な分担を図る損害賠償法の理念に照らし、裁判所は、損害賠償の額を定めるにあたり民法七二二条二項の過失相殺の規定を類推適用して被害者の当該疾患(傷害)を斟酌することができるものと解するのが相当である。

そこで、原告の後遺障害による損害賠償の額を定めるにあたっては、原告の後遺障害(左右両手を通じた全体)のうち転落事故による左橈骨末端骨折自体に起因する割合についての前記認定事実を斟酌し、右損害の五割を減額するのが相当である(個別の損害については後記一〇で判示する。)。

2  西陣病院での処置について

前示三の医学的知見によれば、原告の後遺障害のうちには西陣病院での処置に起因すると思われる部分も含まれているということができるけれども、前示三の1の(五)の(3)のとおり西陣病院での処置は原告の左手の後遺障害の従たる原因にすぎないし、前示三の2の(三)及び(四)のとおり原告の右舟状骨骨折に対する治療は急性期(受傷後二週間以内、右は被告病院入院当初である。)に施行すべきものであり、受傷後時間が経つほど手術が困難となるというのであるから、結局、西陣病院での処置が原告の後遺障害(左右両手を通じた全体)に対し寄与した割合は大きいものではないというべきである。

これに加えて、原告に対する被告病院、西陣病院の各治療行為はいずれも同一患者の同一傷病(左右とも同一の骨折部位)に対する同質の行為(外科的治療)であること、原告に対する被告病院、西陣病院の各治療行為には時間的な前後関係があるものの被告病院退院時と西陣病院初診時とは年末年始の休日を挟んでほぼ接近しており右各治療行為は引き続いて接着しているものといい得ることの各事情を総合すると、仮に西陣病院における治療行為にも過失があったものとしても、原告に対する被告病院、西陣病院の各治療行為の間に共同不法行為(民法七一九条)の成立を認めることができ、被告病院と西陣病院との間の事後的な求償関係は格別、被告の原告に対する賠償責任の範囲が制限されることになるものではないということができる。

3  無断外出、外泊の原告側の事情について

被告は、原告が被告病院入院期間中に外出した際に外固定(ギプス)を勝手に外した公算がある旨主張するが、全証拠をもっても右事実を認めることはできない。

また、前示二の1のとおり、原告は被告病院入院中に無断外出、外泊を繰り返しており(別紙「原告の外出、外泊状況一覧」)、両側前腕骨骨折の治療目的で入院加療中の患者が頻繁に外出、外泊することは骨折部の安静保持ひいてはその回復、治療にとって決して好ましいことではないけれども、被告病院入院中の原告の症状経過につき前示したところによれば、外出、外泊後に原告の症状が格別に悪化した事実は認め難いし、原告の現症状(後遺障害)との関連を認めることもできない。

さらに前示二の2の(三)の左肘の負傷(昭和六二年五月一〇日受傷)は、受傷部位が手関節、手指とは異なりその程度も軽傷(擦傷)であるし、この左肘の負傷が原告の左手側の現症状に寄与したものと認めるに足りる証拠もないから、原告の現症状(後遺障害)との関連を認めることができない。

以上のとおり、原告が被告病院入院中に無断外出、外泊を繰り返したことや左肘に負傷した(昭和六二年五月一〇日受傷)ことは、過失相殺の法理の類推適用により被告の賠償責任の範囲を制限するべき事由には該当せず、無断外出、外泊の事実を慰謝料算定において勘酌するにとどめることとする。

4 右1ないし3で判示したところにより、原告の左右両手を通じた全体の後遺障害による損害(後記一〇)の五割を減額し、被告はかかる限度で後遺障害による損害の賠償責任を負うものである。

一〇損害

被告の前記不法行為により原告に生じた損害は次のとおりである。

1  西陣病院への通院交通費

六万七五五〇円

〈書証番号略〉によれば、原告が昭和六二年一月七日から昭和六三年一二月一五日まで(実通院日数一九三日)西陣病院に退院加療したことが認められる。

しかしながら、前示九1のとおり、転落事故による左橈骨末端骨折は治療の困難な粉砕型の関節内骨折であり、被告病院等において適切な医療措置が行われていたとしても相当期間の治療を要したと考えられるから、通院交通費のうち被告病院担当医の過失と相当因果関係があるのは、被告病院担当医の過失によりそもそも必要であった治療期間より長期の治療が必要となった期間の費用に限られるというべきである。そして、転落事故自体による骨折の内容及び程度、被告病院退院時における原告の症状、前示の抜釘手術等の必要な処置の内容及びこれから推測される術後のリハビリ期間、西陣病院での抜釘手術の施行時期(昭和六二年一月一二日、同年三月一六日)等を総合して判断すると、原告が適切な医療処置を受けるのに通常要する通院期間より長期化したことによる通院交通費は原告主張の二分の一であると認めるのが相当であるから、その限度で被告病院担当医の過失と相当因果関係があるというべきである。

また原告本人尋問の結果によれば、原告は西陣病院への通院に際しタクシーを利用していたことが認められるけれども、前示の原告の受傷部位や症状経過に照らしタクシーによる通院の必要性は認め難く、原告の自宅(当時、京都市右京区御室小松野町)から西陣病院(京都市上京区五辻通六軒町西入溝前町)までの公共交通機関を勘案すると、通院交通費は一日当り七〇〇円(往復)とするのが相当である。

(計算式)  700×193×1/2=67,550円

2  西陣病院での治療費

三万〇五四〇円

〈書証番号略〉によれば、前示1の西陣病院での通院加療(昭和六二年一月七日から昭和六三年一二月一五日まで)中に要した治療費総額が六万一〇八〇円であることが認められるところ、被告病院担当医の過失と相当因果関係のある治療費は、先に1で判示したところにより、西陣病院への前示通院期間中の治療費の二分の一と認めるのが相当であるから、三万〇五四〇円となる。

(計算式)  61,080×1/2=30,540円

3  休業損害一九六万六四二五円

〈書証番号略〉を総合すると、本件当時、原告は喫茶スナック「織賀」を経営し(平成四年三月一一日に廃業)、自らも店に出て稼働していたが、被告病院担当医の過失により生じた前示傷病の治療(西陣病院での通院加療)のため自ら稼働し得なくなったので代わりにアルバイト二名(昼、夜各一名)を雇用したこと、前示1の西陣病院への通院期間中にこの二名のアルバイト店員に支給した賃金総額(〈書証番号略〉の「支給額」欄の金額の合計)が三九三万二八五〇円であることがそれぞれ認められるところ、被告病院担当医の過失と相当因果関係のある休業損害は、先に1で判示したところにより、西陣病院への前示通院期間中の休業損害(前示賃金総額)の二分の一と認めるのが相当であるから、一九六万六四二五円となる。

(計算式)  3,932,850×1/2=1,966,425円

4  通院慰藉料 一〇〇万円

前示の原告の受傷部位、程度や症状経過、西陣病院への通院期間(但し、先に1で判示したところによりその二分の一に限り斟酌する。)のほか、原告の被告病院入院中の受診態度ないし安静保持の状況(殊に無断外出、外泊の状況)、その他本件審理に現れた一切の事情を総合考慮すると、原告が被った精神的、肉体的苦痛を慰藉するには右金額をもってするのが相当である。

5  後遺障害逸失利益

六〇〇万七六八七円

前示八の原告の後遺障害の内容、程度(左手は労災障害等級一〇級、右手は同等級一三級であり、併合による繰上げにより同等級九級となる。なお、併合による繰上げは同等級一三級以上の身体障害が二以上あるときに行われるから、同等級の一〇級と一三級との組合せは、併合により重い方の一〇級が一級繰り上げられて九級となる障害等級の組合せ中で最も障害程度の低い場合である。)のほか、後記の原告の性別、年齢、職業等を総合して考慮すると、原告は前示後遺障害により症状固定時(昭和六三年一二月一五日、当時三七歳)から稼働可能と考えられる六七歳までの三〇年にわたってその労働能力の三〇パーセントを喪失したものと認めるのが相当である。

そして、〈書証番号略〉を総合すると、原告は、昭和二六年六月三日生れの女性であり、本件当時、喫茶スナック「織賀」を経営し(平成四年三月一一日廃業)、これにより昭和六一年賃金センサス第一巻第一表産業計・企業計・学歴計・女子労働者三五歳以上三九歳以下の平均年収額二六〇万五四〇〇円を上回る収入を得ていたものと認めることができ、本件医療過誤に逢わなければ、前記期間中毎年右金額の年収を得ることができたものと推定されるから、ライプニッツ式計算方式で年五分の中間利息を控除して(三〇年のライプニッツ係数は15.3724)三〇年間の逸失利益の症状固定時における原価を求めた上、前示九のとおり右原価からその五割を減額すると六〇〇万七六八七円となる(円未満切捨て)。

(計算式)  2,605,400×0.3×15.3724×(1−0.5)=6,007,687円

6  後遺障害慰藉料 二〇〇万円

前示八の後遺障害の内容、程度のほか、原告の被告病院入院中の受診態度ないし安静保持の状況(殊に無断外出、外泊の状況)、その他本件審理に現れた一切の事情を総合考慮した上、前示九のとおりその五割を減額すると、原告の後遺障害慰藉料は右金額とするのが相当である。

7  弁護士費用 一〇〇万円

弁論の全趣旨によれば、原告は本件訴訟の提起、遂行を原告訴訟代理人らに依頼し報酬の支払を約したことが認められ、本件事案の内容、審理経過、認容額等の諸事情に照らすと本件訴訟と相当因果関係のある弁護士費用は右金額とするのが相当である。

8  合計額一二〇七万二二〇二円

一一結論

以上の次第で、原告の被告に対する本訴請求は、金一二〇七万二二〇二円及びこれに対する原告の症状固定の後である昭和六三年一二月三〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官小北陽三 裁判官岡健太郎 裁判官加島滋人)

別紙省略

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